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インドネシア通信 『アルハンブリラ』…の巻き

 

『アルハンブリラ』

断食期間中のTVや映画で良く耳にする言葉です。

『アルハンブリラ』

意味は何だろう???

 

夕べのお祈りを終え水を口に含みます。

思わず『アルハンブリラ』

可哀相な人を見ます。

思わず『アルハンブリラ』

意味は何だろう???

 

 

意味は神への感謝の念でした。

『アルハンブリラ』…神様、ありがとう!

水を飲ませていただいてありがとう!

生かさせていただいてありがとう!

有得難きことをして戴いて…『有り難う!』

これが『アルハンブリラ』の意味でした。

 

断食とは『有り難い』ことを体を使って学ぶ修行の場でした。

有得難きことが有ったので『有り難い…神様有難う…アルハンブリラ』

毎日毎夕断食開けの水を飲むたびにその有り難さを感ずるのでしょう。

その為に昼の暑い間水を断つのでしょう。

 

年に一回、30日の間、毎日繰り返し『有り難い…アルハンブリラ』を

己の体を使って感じ続ける、

咽が渇いておれば他人の渇きも分かる。

他人への思いやりが生まれる。

有り得難きことを体感するゆえ感謝の念が起こる。

思わず誰か(神)に感謝する…『アルハンブリラ』。

 

苦しければ苦しいほど救われた時の嬉しさも大きい。

一年に一回といえどもこのことを体で覚える期間。

男も女も大人も子供も同じ期間忍耐と感謝を一緒に体で覚える。

一杯の水が如何に大切か、それを飲める事が如何に幸せか、

苦しいが故に他人の苦しみも肌で分かる。

克己の満足感が夕刻のお祈りと共にほとばしり出る喜びを皆で分かち合う。

毎日毎日暑い盛りの30日間地獄と天国を繰り返し体感する…

凄い修行ですね!

 

断食とは、今の日本に一番欠けている

・自然への『感謝』、と

・己への『忍耐』と『克己』

・他人への『思いやり』…を同時に学ぶことができる修行なのでしょう。

 

昼間の食堂は入り口に幕を掛けるか扉を半開きにして他宗教の人が

昼食をする姿を遮っております。食べられない人への思いやりです。

食べる時は見ず知らずの隣の人にも、お先に頂きます(duluhan)と

声を掛け合います。

みんな頑張っているのです。

一ヶ月間我慢し切った満足感と、そんな己に対する誇りを賭けて。

 

歓喜の頂点は近いです。

苦しみが歓喜に変わる9月10日の断食明けまであと一週間…。

イスラム教徒の皆さん、頑張って下さい。

そして、晴れ晴れとした表情でレバラン(断食明けイスラム正月)を迎え

お互いに 『Mohon Maaf Lahir dan Bathin』

      (心と体より(旧年中の)不調法をお詫びします)と

      言い合いましょう。

 

 

追伸)

小職が最初に断食を見たのは1979年7月から8月に掛けてでした。

記憶に間違いなければレバランをタラカン島で初めて見たのは

独立記念日(8月17日)の行進行列の直前か直後でした。

断食とレバランは陰暦ゆえに年に10日ほど前へ進むそうです。

2010年のレバランは9月11日ですから、2011年は9月1日、

2012年は8月20日、そして2013年には初めてタラカン島で見た

レバランと同じ独立記念日とくっ付いたレバランとなりましょう。

それまでインドネシアでの仕事を頑張って1回転して元に戻った

レバランをこの目で見てみたいものです。

 

(本音)

断食(プアサ)期間中は上記の如き良い事ばかりではありません。

レバラン(イスラム正月)用越年資金を稼ぐために警察やイミグレ、

林野や税関までもが難癖を付けては金を毟り取って行きます。

従業員でもないマッサージのおばさんやカラオケのお姉ちゃんに

THLと称するお年玉をねだられます。

物価も上がりムディック(帰省)の為に交通手段も込みます。

インドネシアの一年で一番嫌な時期でもあります。

本音を言わせてもらえればこの時期だけはインドネシアに居たくありません。

人間が併せ持つ美醜の両面を見せつけられる時期なのです。