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【インドネシア通信 ::::: 大統領選挙の結末 】


      
2004/9/20  スマトラ島 ジャンビ市にて
                         
神谷  典明


 本日2004年9月20日7時より午後1時まで大統領選挙の決選投票が行われました。ここスマトラ島ジャンビ市に於いても雨季入りを告げるがごとき小雨の中、投票所に人がパラパラと顔を出しました。本当にパラパラと言う感じです。インドネシア建国以来始めての大統領直接選挙であると言うのにパラパラです。
 写真の投票所へ見物に出かけましたのは午前十時ごろ、午後1時には投票を締め切ると言うのに人が来ません。
 歴史的投票の写真が撮りたいので少し横で待っていても人が来ませんでした。
 政治を変えるぞ…という熱気が全く感じられませんでした。
 投票をした人は重複投票を防ぐために小指を青色のインク壷に突っ込まれます。(このインクは洗っても消えないそうです。)
 然るに午後1時を過ぎても小指の先が青くない人を街で沢山見かけました。『GOLPUTになるな(白っ派になるな…棄権をするな)』、と言う棄権防止ポスターも貼ってあるのに…

 スカルノ政権からスハルト政権へは実質クーデターでの政権奪取でした。

 その間スカルノ政権与党である共産党狩りで、一説によると華僑を中心とした30万人もの民衆が犠牲となったそうです。
 スハルト政権からハビビ政権へはジャカルタ暴動の責任をとって大統領が辞任するのに伴った副大統領の自動昇任です。ここでも多くの華人が暴徒の手に掛かりました。
 ハビビ大統領からワヒッド大統領へは不思議な間接選挙を経てのものでした。
 メガワティ率いる闘争民主党が勝利して第一党となったのにも拘らず、政党間での合従連衡による駆け引きで、
結局第3党党首だったワヒッド氏が大統領に、メガワティ氏は副大統領どまりでした。
 その後ワヒッド氏が汚職辞任するのに伴いメガワティ副大統領の自動昇任がありました。
 これらの反省もあったのか、今回は本当に国民の手による直接選挙となった次第なのです。
 血を流して勝ち取った民主主義の、さらに集大成と言える大統領直接選挙にしては盛り上がりのなさが気になります。

 現在午後5時45分、スシロバンバンユドヨノ氏の勝利宣言が出ました。
 開票途中結果がメガワティ氏38.5%、バンバン氏61.5%と出たのです。
 残りを全て開票してもこの差を覆す事は出来ないそうです。

 これから5年間はバンバン氏のもとでインドネシア共和国2億の民が操縦されるのです。
 日本にとっての経済的生命線、マラッカとマカッサールの両海峡を領有する、『東南アジアの眠れる獅子』を指揮するのです。(日本人も無関心ではいられないはず…なのですが。)

 バンバン氏は1949年生まれの55歳、日本で云えば団塊の世代出身者です。父親が軍人だったせいか小さいころから軍人に憧れ、仕官学校を恩賜の金時計並みのダントツトップで卒業し、ティムール紛争で現場指揮をしながら将官に上り詰めた生粋の軍人です。
 ワヒッド大統領政権から大臣就任を要請され、『御国の為に尽くしなさい』と云う父親の言葉に従い、軍籍に未練を残しながらも民間に下った人なのだそうです。

 スハルト時代は自由にものも言えない暗黒の恐怖政治。それが終われば反動で民主主義の名の下に権利だけを
主張する勝手主義が横行。
 強いものが勝ち、弱者は見捨てられる政治が延々と続けられました。
 メガワティ女史の手腕のなさに民衆は飽きていたのです。
 取り巻きの役人や華人ビジネスマンだけがおいしい思いをする汚職体質に改善の兆しが全く見えない時代に飽き飽きしていたのです。

 弱者を見つめる清潔で強い指導者の眼差し。
 …インドネシア国民が指導者に求めている理想像です。

 そこへ出てきた軍人出身のバンバン氏。 飛びつく国民の気持ちも良く分かります。
 『こわもてする顔が笑うと子供の顔になる』
 不思議な魅力をたたえた男に期待を賭けたのです。

 日本の政治はどうでしょうか?

 我々は誰を指導者として今後選んでゆくのでしょうか?
 政治家による利権優先政治から脱して、一度私たちも首相直接選挙をしてみたいものですね。
 (小泉氏が勝つか…?、はたまた石原氏が勝つか…?)