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インドネシア通信、『積んでは崩し』…の巻き

 

1979年2月にインドネシア共和国東カリマンタン州タラカン島に赴任しました。

それから…

1980年2月で丸1年、1981年2月で丸2年、1982年2月で丸3年、

1983年2月で丸4年、1984年2月で丸5年、1985年2月で丸6年、

1986年2月で丸7年、1987年2月で丸8年、1988年2月で丸9年、

1989年2月で丸10年、1990年2月で丸11年、1991年2月で丸12年、

1992年2月で丸13年、1993年2月で丸14年、1994年2月で丸15年、

1995年2月で丸16年、1996年2月で丸17年、1997年2月で丸18年、

1998年2月で丸19年、1999年2月で丸20目、2000年2月で丸21年、

2001年2月で丸22年、2002年2月で丸23年、2003年2月で丸24年、

2004年2月で丸25年、2005年2月で丸26年、2006年2月で丸27年、

2007年2月で丸28年、2008年2月で丸29年、2009年2月で丸30年、

2010年2月で丸31年、2011年2月で丸32年、2012年2月で丸33年、

そして2013年2月で丸34年、足掛け35年目に突入しました。

こうして書くだけでも疲れる長さです。

こんな長い年月、一体私はインドネシアで何をして来たのでしょう?

 

それは指導という名の拷問です。

 

『積んでは崩し』という名の拷問をご存知ですか?

石を積ませてはこれを自ら崩させる、永遠にこれを続けさせる拷問です。

崩すためだけに石を積ませる、

重い石をやっと積み上げても、積み終わった途端に崩させる…。

先が見えない、終わりのない苦役です。

肉体的苦役の苦しさよりも、終わりの見えない精神的苦しさに気が狂います。

人は気を狂わせることで、この拷問から逃れようとするのです。

 

インドネシアでの指導はまさに、この、『積んでは崩し』、です。

終わりなき指導です。

毎日毎日現場で同じ事を言い、伝わったか、と期待しては結果を見て

裏切られたことに気付かされる。

『何で、こんな事が出来ないのだ!』、

と喚く。

気落ちする。

気が滅入る。

工場が稼動している間は、3年でも、10年でも、20年でも、同じ指導を

繰り返し続けなくてはなりません。

ノウハウの移転が出来た、と喜び、指導を切り上げた、まさにその時から

崩れが始まります。

まさに、終わりの見えない、『積んでは崩し』、そのものです。

 

インドネシアの生産現場では、『任せる』、という当たり前の事が出来ません。

何故か?

小職の経験を申し上げることにより、その答えとさせて戴きます。

 

インドネシアの人々に仕事を任せたい、でも任せ切れない何かを、彼の国では

性格的にそして制度的に内包しているのです。

それは…、

 

①『知ったかぶり』

  知らないのに知っているがごとく装います。

  本当に知らないのなら教えれば済む事なのですが、知った振りをされると

  お手上げです。

  知った振りを見抜く方法はただ一つ、彼等と一緒に仕事をしながら

  その様子を毎日観察することです。

  知っているか知らないか、本人の口から聞かなくとも、仕事の結果で判断

  できます。

  しかし、これではいつも一緒に居なければならず、任すことは叶いません。

 

  『知らないと言うと、教えてくれた人が悲しむ…』

  『教えてくれた人を悲しませないためにも、知っていると思わず言ってしまう…』

  悪気があってしている事ではない、…と思います。

  でも、それがノウハウの移転を妨げ、彼等の独り立ちを不可能にしているのです。

  16世紀のオランダ統治時代から400年間も人の顔色を伺って生きざるを

  得なかったので仕方無かろう、と好意的に解釈しても解決策にはなり得ません。

 

  この延長線上にもっと嫌な、『勝手な解釈』、が出てきます。

  教えてもいないことを勝手に解釈するのです。

  知らないことは聞いてくれれば教えられるのすが、聞かずに自分なりの解釈を

  してしまうのです。自分の解釈に何の正当性も見出せないはずなのにこれを

  行ってしまうのです。当然、結果は教えた事とは似て非なるものになります。

  実に不思議です。

 

  一つの例を述べます。

  ・不具合が発生しました。

   教えてた事が実情にあっていなかったのか?

   どうして俺が作った基準で不具合が生ずるのだろう?

   胃が痛くなるぐらい考えました。

  ・原因は簡単でした。

   現場が教えた通りにやっていなかったのです。

   現場の勝手な解釈で行っていたのです。

   その結果の不具合でした。

  ・基準の正しさは証明できました。

   が、不具合はクレームとなり、その解決に大変苦しめられました。

 

 

②『人の入れ替わり』

  現場に出て、時々気付く事。 

  あれ、昨日までの奴と違うぞ…

  『おれが教えた奴はどこへ行った?』  

        ・・・『奴は辞めました』、『奴は休みです』

  『お前はだれた?』  

        ・・・『今日入った新人です』

  『作業しているが内容判るのか?』  

        ・・・『判りません』『誰も教えてくれませんから』

  この繰り返しです。

  彼らに能力が無いのではありません。

  能力を引き出せるような体制になっていないのです。

 

だから…、インドネシアでの仕事は、24時間、365日、10年でも20年でも、

仕事が続いている間は監視の目を解けないのです。

悲しいかな、ノウハウの移転は期待出来ません。

 

インドネシアでは従業員の会社に対する忠誠心を余り感じません。

経営者は主に華人(中華系インドネシア人)、労働者は主にプリブミと云われる

土着のインドネシア人です。人種が違うので一体感が出てきません。

経営者は労働者を安く使うことしか考えておりません。

労働者は一定の期間労働と時間を会社に提供することによりその対価としての

給金を得ることしか考えておりません。

(一部の例外はあるかもしれませんがほとんどが上記の如き雇用構造です。)

国から毎年各州における最低賃金が決められます。

この水準以下で雇用してはいけない、という線を引いておかねば立場の弱い

労働者の生活が守れなくなるからです。

 

そして、それ故に、工場作業者の定着率が低いのです。

作業者はより賃金の高い職場へ流れます。

ノウハウを教えるとそれを持ってライバル会社へ移る恐れがあります。

経営者と労働者、華人とプリブミ、二重に重石が科せられているのです。

こんな関係では、愛社精神も、愛社員精神も、望むべくもありません。

 

唯一の解決方法は、『徹底的に信用すること。しかし、信用しても任せない事。』

常に彼等の仕事をクロスチェックし、良いときは褒め、悪いときは注意をする。

常に指導者に見られているのだ、と彼らに判らせる。

指導者は公正な判断を下す人なので、怒られても仕方なく、褒められれば嬉しい、

と思わせること。

 

日本でも新入社員の頃は

・上司に仕事をしている姿を見られていると思うと嬉しくなかったですか?

・上司に褒められれば、やるぞ!という気になりませんでしたか?

彼等も同じです。

常に指導者を意識しておれば勝手な言い訳は出来ません。

・言い訳が通るようないい加減な指導者ではないのです。

・言い訳してもその真偽を見抜く力のある指導者なのです。

こういう風に彼等が認識し始めれば知ったかぶりもしなくなるでしょう。

 

知ったかぶりをしたり、言い訳をするのは、正に指導者が判らないだろう、とナメテ

掛かっているからなのです。

これは指導者の責任です。部下にナメられたら仕事はできません。

先ずは自分がナメられない指導者になることです。

彼等の言い訳や知ったかぶり、そして嘘を見抜ける指導者になることです。

 

そして…、これが一番大事なことなのですが、

『指導者が見抜いていることを彼等に認識させる事』、です。

・ナメれば一発で吹っ飛ばされる怖い指導者、

・仕事では絶対にかなわない有能な指導者、

・良き成果を残せばきちんと評価して一緒に喜んでくれる公平な指導者。

こんな指導者に先ず自分が成る事です。

彼らを責め立てる前に指導者として適格である様に自分を変えることです。

彼等が、知ったか振りをしたり、ウソの報告をしたり、言い訳をしたりする勇気を

持てるのは、自分が良き指導者になれていない証拠なのです。

それを彼等が教えてくれているのです。

本当に彼等が尊敬する怖い指導者であれば、彼等も指導者の言うことを

一生懸命具現しようと動くはずです。

どんな国でも、人種でも、宗教でも、そこに生きる人間の心理に大きな違いは

無い!(はずです。)…そう信じないと、インドネシアではやって行けません。

 

彼等がどんな仕打ちを指導者に対して行っても腐ってはいけません。

腐ったら負け、…インドネシア人生の終わりです。

彼等との根競べです。

このように考えて33年間、インドネシアの彼方此方で指導を続けて参りました。

積んでは崩しの苦しさに、気が狂いそうになりましたが、まだ狂ってはおりません。

彼等との根気勝負は続いているのです。

彼等の為に、そして自分の為に、インドネシアで何かを残そうと思うのであれば

この根競べに負けるわけには参りません。

 

最近気が付きました。

『積んでは崩す』…、同じ過ちを繰り返しているようですが、同じではないのです。

繰り返される過ちに微妙に違いが出て来ているのです。

本当は螺旋状に少しずつ上へ上っているのです。

長い時間を掛けながら、ゆっくりゆっくり、上へ上へと、向かっているのです。

その暁、ようやくインドネシアに残せるものが見えて来るのでしょう。

 

明けない夜はない。

苦しみの果てに必ず喜びが待っている。

そう信じ、残り少ないインドネシア人生をまっとうしようと思っております。

 

4月13日で還暦です。60年の過半数を過ごさせてもらったインドネシアに、

何も残さず帰るわけには参りません。

何か一つ、自分の生きた証をインドネシアの地と、人々の思い出の中に

残したいものです。

その『何か』、が、『一体何なのか?』…、残された人生の課題です。

 

35年間に渡ってインドネシアの天然木を伐らせて貰い、使わせて貰いました。

天然木に替わる新しい木質資源を開発することによって、使わせて貰った

天然木の替わりに供したいと思っております。

そして、天然木の枯渇と違法伐採規制で疲弊してしまったインドネシアの

木材業界を活性化するお役に、立ちたいと思います。

 

栽培する木質資源。

インドネシア全土で植えられ、いくら使っても枯渇しない木質資源。

用途開発しなければ農園産廃として捨てられてしまう木質資源。

その利用方法研究開発と需要創出。

これぞインドネシアで35年間お世話になった木材屋に相応しい恩返し。

これぞインドネシア木材コンサルタントを標榜している小職に相応しい仕事。

 

『何か』、の答えが見つかりました。 根競べの果てに、ようやく見つけました。