53

インドネシア通信 『イスラム正月』…の巻き

 

インドネシアでは、8月7日の夕刻、無事断食月を終えました。

今年の断食明けイスラム正月は8月8日~9日です。

日本の正月や盆と同じで、インドネシアでも帰省をします。

概ね8月4日から11日までイスラム正月休暇となりますので、

みな田舎へ帰るのです。

田舎で家族揃って断食明けを祝い、先祖のお墓参りをして、

イスラム正月を祝うのです。

 

(まるでお年玉)

  小さな封筒(アンパオ)に1000ルピア(10円)や

  5千ルピア(50円)の現金を入れて親戚の子供達に

  配ります。

  (このため帰省する人達でごった返す駅には新札の

   千ルピアや5千ルピア紙幣を売っております。)

 

(まるでお歳暮)

  そして花盛り、菓子盛りを取引先やお世話になった

  人に贈るのです。

 

(まるでお年始廻り)

  お互いの家を訪問し合い、用意されているお菓子やご飯を

  一緒に食べます。

  (昔、タラカンで各家庭に用意されていたタペ-酒粕菓子を

   食べ過ぎて、酔っ払ってしまった同僚が居りました。)

 

そして、何と!、イスラム教徒も正月の挨拶は合掌なのです。

何ら日本のお正月やお盆と変わるところは有りません。

このように日印の間には不思議と似た習慣があるのです。

 

本来、人間はどこの世界に生きていようとも、どんな宗教に染まって

いようとも、同じ感覚と考えを持った生き物なのです。

お互いに異なる部分を指摘し合って、どちらが正しいかを論ずるより、

似た部分を見つけ出して融和する方が、どれだけ楽しいことでしょう。

敢えて対立を煽り、それによって自己の正当性を声高に叫んでいる

宗教指導者達に教えてやりたいものです。

『人類の不幸の一つは、あなた方がお創りになっているのですよ…』、と。

 

今年はイスラム正月と、インドネシア独立記念日の8月17日が同じ

月になりました。

小職の記憶では、初めてインドネシアの地を踏んだ1979年8月に、

まさにイスラム正月と独立記念日が連続しておりました。

つまりイスラム正月の時期が少しずつずれながら、実に34年掛かって

一年を一周したのです。

これは新しい発見でした。

 

例年インドネシアでは、日本の夏が乾季です。

直射は暑くとも空気がカラッとしておりますので、日陰に入るとスーッ!

青い空、白い入道雲がモクモクと上がり、夕方にはスコールが来ます。

これが乾季の様子です。

まさに日本人が連想する南国の姿です。

 

今年は違います。

毎日曇り、それもモクモクとした入道雲ではなく、全天ベッタリの雨雲。

明け方や夕方には雨が降りますが、スコール(夕立)と言うより普通の雨。

スマトラ島のジャンビでもジャワ島のジャカルタでも、小職が見た断食月

は、まるで雨季の様相でした。

 

7月末に至っても雨季が明けておりません。

乾季になっておりません。

こんな年は、小職の34年に亘るインドネシア人生でも初めてです。

地球温暖化の影響、CO2排出の影響、地軸の傾き等々、色々と

言われますが、実際に、そして、明らかに、天候はおかしいのです。

日本でも40度を越す熱暑であったり、突然の超豪雨であったり、

明らかな天候のおかしさは皆さんも御体感済みでしょう。

人類が増長し、原発や遺伝子操作など、神をも恐れぬ行動を始めたので、

神様が怒って、ノアの箱舟現代版を起させようとなされているのでしょうか…

何と、『キョウ』を漢字転換させましたら、『狂』、と、『教』、が出て来ました。

 

 

インドネシアでは、イスラム正月の挨拶に、こんな言葉を添えます。

mohon maaf lahir dan bathin (体の外と内から、ごめんなさい。)

 

体の外、つまり、目は見誤りますし、耳は聴き間違えます。

     足は間違った方向へ向かいまし、手は誤りを作り出します。

     そして口は多くの誤りを吐き出します。

 

体の内、つまり心は、多くの邪推を、そして憎しみを生みます。

 

行動でも感情でも我々は間違いを起しますので、どうぞお許し下さい…。

 

イスラム正月を迎えるに当たって、色々考えさせられる『キョウ』この頃です。

 

 

 

(イスラムのお歳暮)