インドネシア通信 『昔の話をしよう(後編)』…の巻 神谷典明
海の恐怖が漂流なら空の恐怖は墜落です。
漂流はじわじわと這い上がって来る恐怖ですが、墜落は瞬殺の恐怖です。
小職はタラカン時代にそのいずれも経験しました。
それでは墜落の恐怖を思い出しましょう。
タラカン島からバリックパパンへプロペラ機が飛んでおりました。
当時ジェット機は国内主要路線と国際線だけ、それも国営のガルーダ航空だけが運行させておりました。
国内の田舎行きはガルーダさへも飛んでいません。
専らボラック航空とムルパティ航空が就航してました。
尾翼にQのマークを大書したボラックは林区保有者である大手木材会社ポロディサ社がオーナーの航空会社でした。
(ムルパティはガルーダの子会社と聞いておりました。)
『ボウラック』なのか『ボラック』なのか読み方が定かでない飛行機です。
『ボラキュー』とオバキューの親戚みたいな呼び方をしている人もいた程です。
(因みに私はボラックです)
当時木材業界は余り調子良くなかったのでボラックを避ける客も多かったです。
その理由が『本業の資金繰りが苦しいので碌にスペアパーツも買えないだろう』でした。
私が乗ったのはボラックだったと記憶しております。
タラカンから経由地バリックパパンまでは1時間半の飛行です。
双発のプロペラが気持ちよく鳴り機体を振動させてました。
その時、右側に座っていた客の一部が騒ぎ出したのです。『プロペラが止まっている!』
さあ大変、乗客が騒ぎ出しました。近くの小母さんは泣き出しました。コーランも聞こえてきます。
キリスト教徒が胸に十字を切ってます。
中華系は仏教でしょうか、大声でお祈りを捧げてます。
機内が阿鼻叫喚のパニックに陥りました。
小職はアシスタントのジャップリと並んで左側の2座に座ってました。
我々はプロペラ機は片方が止まっても滑空できるから堕ちない聞いていましたので心配してませんでした。
機内の騒ぎを見ながら『堕ちた時はその時だ』と余裕をかませて二人で笑い合っていました。
それが何と自分の目で見える左側のプロペラも止まってしまったのです。
…と思った瞬間です。体が浮きました。
あちこちでテーブル上の食べ物が飛び上がりました。
我々は素早く足元に放り込みましたので食べ物を頭から被る悲劇は避けられました。
飛行機が堕ちているのです。凄いうなり音がします。
体が浮くのをシートベルトで抑えて肘掛けを握り閉めて
思いました。『まさかここで死ぬるとは!』
メモに遺言を残すなんてことには思いも馳せませんでした。ただただ呆気に取られているだけ。
自分がこういう目に会おうとは思ってもみませんでした。
異国の地、カリマンタン上空で果てるのか!?
堕ち行く先は山か海か?
二十数年の人生が走馬灯のように頭をよぎることは有りませんでした。
ただただ呆気に取られているだけでした。
そうしているうちにうなり音が変わりました。
力強くなったのです。
窓の外を見るとプロペラが廻っていました。
右側も廻り始めた様です。
機体から細かい振動が伝わり始めました。
エンジンが動いている証拠です。
『助かった!!!』
一体何が起こったのでしょうか?
訳け知りな乗客が廻りに喋ってました。
『急降下して風圧を利用してプロペラを廻したんだよ。
エンストした車の押し掛けと同じさ。
堕ちたのではなく急降下したんだよ。
これは空軍出身のパイロットだな!』
さっき迄お祈りをしていたくせに…
そうか、押し掛けなんだ。何となく納得が行きました。
気が付いたら手の平が濡れてました。
ジャップリと顔を見合わせても笑えませんでした。
死の恐怖を一瞬でも味わってしまったのですから。
『死の恐怖を味わうと人生観が変わる』と聞いておりましたが、それ程の事でもありませんでした。
もう一つの死の恐怖。それは『暴動』です。
タラカン島では家を借りてましたが、狭い町に日本人が住んでいると目立つのでタカリ(警察、イミグレ、新聞記者、等々外国人だからと金をせびりに来る連中)が多く実に五月蠅い。
そこで契約切れを待って近くの小さな木賃宿Wisata hotelへ移りました。窓もない小さな部屋を月借りして独りで寝るのです。
ある夜中、パンパンと乾いた音が街のあちこちでするのです。
瞬間『暴動だ』と思いました。
暴動とは集団ヒステリーです。
映画で見たシーンが頭を過ぎりました。
隣人が殺人者に変わるのです。
チンピラのアンちゃんだけでなく、善良な小父さんや小母さんも刃物を振りかざして向かってくるのです。
血みどろになって一方的に虐殺されるのです。
まさか自分がその渦中にいるとは!
このタラカンでそんなことが起こるとは!
パンパンパン!
『どうしよう!』『どうしよう?』『どうしよう…』
天井裏に逃げようか? 外に逃げようか?
どうしたら身を守れるか、必死に部屋で考えましたが結論は出ません。そうしている内に夜が白々と明けて来ました。
パンパンという音は聞こえなくなっておりました。
恐る恐る外へ出て掃除をしているホテルのボーイに訊きました。
『昨夜何が起こっていた?』
『軍の訓練だよ』
『街中でゲリラ掃討戦の訓練さ、回覧が廻っただろう?』
外国人の小生には廻って来なかったのです。
あのパンパンは空砲だったのです。
『この野郎、何で言わなかったんだ!!!』
と怒ってもあとの祭り。
見苦しく逃げ惑う姿を見られなかったのは幸いでしたが、実に怖い一夜でした。
インドネシアでは『足のすくむ様な恐怖』を味わう機会が沢山有ります。
・『強盗が入って来たら自分の部屋に鍵をかけて外に出るな!』
顔を見られた強盗は家人を刺殺か撲殺するから。
・伐採キャンプでは自分が入れた山林労務者連中に脅されます。
蛮刀をちらつかせながら、『この原木を撥ねたらボスが死ぬよ』
仕事をしながら異国に住んでいる限り、こう云う事態への遭遇は避けられません。
逃げたら南方駐在員は務まりません。嫌だと言っても向こうから来ます。
切り抜けられたのはただ運が良かっただけです。
これが過酷な南方駐在員の姿です。
日本企業の先兵として、こんな危険に身を晒し、必死に恐怖と戦っているのです。
安い酒と女に身をやつしているのではありません。
一度日本から来た先輩にこの恐怖の一端を味わって貰いました。
先輩は、『神谷、二度と俺をこんな所にへ呼ぶな!』、と怒って帰国しました。
たった10日間居ただけで身がすくんで逃げる様に日本へ帰ったのです。
こちらは『こんな所』に6年も住んで仕事をしているのです。
『分ったか、この野郎!!』
先輩を見送りながら思わず喝采を叫んでいた29歳の私でした。
そんな小職も今回のコロナ騒動には驚きました。
ジャカルタから必死で脱出して来た岡崎で、2週間の隔離とは…。
2020/5/24受信分