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インドネシア通信『インドネシアのNew Normal』…の巻   神谷典明

美しい母子はインドネシアでのコロナ感染者第1号第2号という不名誉を負わされてテレビに登場しました。
顔も名前も住むところさへも放映されてしまいした。
人権もへったくれもありません。
でも御本人達は明るくインタビューに応じておりました。
マレーシア在住の日本人との間で濃厚接触が有って感染したと報道されました。
日本人の性別が書いてありませんので、てっきり濃厚接触を生業とする女性達かと思ってしまいました。


テレビで彼女達のインタビューを聞いて相手の日本人が女性でありダンス同好の仲間であった事を知りました。
彼女達とダンスパーティーで一緒に踊ったのでしょう。
彼女達は売春婦などではなく英語も解するハイソサエティーだったのです。

この二人からインドネシアのコロナ禍が始まりました。
二人は既に回復され日常生活を営まれておられますが、その後の推移は驚天動地です。
イスラム正月帰省による感染大爆発は回避できたようですが、日本と違い感染者数が頭を打ちません。
未だインドネシア全土で2000人弱の感染者が毎日出ており、合計は6万人を超えました。死者も3500人を超えております。
同じ様に多数の感染者が出ているシンガポールに比べ死者数は実に4倍です。
矢張り医療機関のレベルが違うのでしょう。

以前、友人(日本人)がジャカルタで重い病に倒れ、ジャカルタでも有数の病院へ入院しました。
二度開腹手術をしても治りませんでした。
彼が加入していた日本の保険会社から小職宛に電話が入りました。
『保険会社としてはジャカルタの病院を認めません。
体力が有るのであれば日本へ帰国の上で治療、体力が保たないのであればせめてシンガポールの病院へ入ってくれ』
仕方なく飛行機をチャーターしてシンガポールの病院まで移送した事が有ります。

昔、小職の客がジャカルタへ着いた途端にホテルで倒れ、ジャカルタに開いたばかりの最新病院へ担ぎ込まれました。
翌日見舞いに行った小職は、日本から迎えを呼び、体力がある内に帰国するよう頼みました。
勿論病院は反対しました。が、強硬に退院させて帰国させました。
日本の病院で医師から、『早く帰国して良かった。脳梗塞だよ』と言われたそうです。

昔、昔、小職の住んで居た東カリマンタン州で高熱を発せられた日本人が居られました。
ジャカルタまで運びたかったのですが体力が保たなかったのか、途中の街サマリンダの病院へ入れられてしまいました。
インドネシアの病院は退院を嫌います。
そのまま病名も分らず留め置かれている内に熱帯性マラリアでお亡くなりになられてしまわれました。

もっと昔、東カリマンタンからジャカルタへ出て来た小職を見て商社の方が驚かれました。
『神谷君、凄く日焼けしているね、真っ黒だよ!』
見掛けとは逆に熱っぽく力が出ないのでジャカルタの大病院へ行きました。
医者は『この薬を飲め』と言います。
小職は『病名を教えてくれ』と問い返します。
医者は『風邪だ。この薬を飲めば治る』と言います。
小職は風邪との見立てに違和感を感じ、病院からの帰り薬を捨てて商社に相談しました。
商社はシンガポール支店に頼んで『マウント・エリザベス・ホスピタル』という大病院を予約してくれました。
医師の見立ては『動くな、タバコ吸うな、酒飲むな、ホテルで絶対安静。お前は急性肝炎だ』でした。
それから数日後病室が空いたので入院しました。
日焼けして見えたのは黄疸が出ていたからです。
怠く熱っぽかったのは肝炎の特徴だそうです。
ジャカルタ病院の見立て通りに風邪として薬を飲むだけの対処をしていたら小職はこの通信を書けない世界へ飛んでいたでしょう。

事ほど左様にインドネシアの病院は怖いのです。
病気と歯痛に罹ったら帰国せよ、と言われるぐらいです。
医者が病名を言いません。これを飲めと薬を渡すだけです。
一体何の病気で薬を飲まねばならないのか説明がありません。
『こんな奴に自分の命を任せて大丈夫か?』
大丈夫でない根拠は前述事柄でお分かり頂けたと思います。
命を預ければ取られましょう。

昔、東カリマンタンのタラカン島で同居していた家族の中に中学生の女の子が居ました。
毎朝コーヒーを出してくれるので話し相手になって貰い、インドネシア語の先生を務めて貰いました。
日本へ一時帰国する時『お土産に何が欲い?』と訊くと
『カバンが欲しい、今度高校生になるので学校へ持って行く鞄が欲しい』と言います。
日本で高校生が持つような肩から斜めに掛ける鞄を買いました。
喜ぶ顔を想像しながらタラカンに着くと、家の中に彼女の姿が見えません。
『どうしたの?』と家族に訊くと『チフスで死んだ』と言います。
聞いた小職の方が驚きました。
『チフス?!』 
日本では法定伝染病です。即刻隔離です。
持って来た鞄を投げ捨てました。悔しくて悔しくてなりませんでした。

同じ想いを20年経った後のスマトラ島ジャンビ市でも味わいました。
ジャンビ空港のガルーダラウンジでアルバイトしていた娘と知り合いました。
学校へ行きたいが家が貧しく親に負担を掛けさせたくないのでアルバイトして学費を
稼いでいると言います。
それなら小父さんが学費の面倒見てあげるよ、と伝えると『本当!!!』と疑い深い顔。
『口座を教えてよ、毎月振り込むから』と伝えて、からかっていないことを示しました。

彼女の喜びは大変なものでした。
『入学祝に何が欲しい』と訊くと『赤いランドセル』と言います。
日本では小学生用のカバンですが、元はフランスの水兵が背負っていたのだそうで、大人が使ってもいいのです。
日本へ帰って鞄を探していると彼女からメールが入りました。
『マラリアに罹って入院中』
腹が痛ければチフス、下痢をすればコレラ、熱が出ればマラリアか!
インドネシア人は実に気軽に重い病名を使うので、真剣に取り合わず
『マラリアは大変な病気だよ。凄い熱が出て体中が痛くって食事も出来ず、苦しくて痛くて堪らないよ。
小父さんは罹ったことが有るから言うけど、チョット熱が出た位で言う病名じゃないよ。本当に罹ったらメールなんか打てないよ』とからかっておりました。
数日後、友人と名乗る男性から電話が入りました。
『彼女がマラリアで死んだ…』
本当だったのです。
ジャンビヘ行く前に赤いランドセルのミニチュアを買い、彼女の墓に供えました。
『ごめんね、信じてあげずに…』
(その後友人達から聞いた話では、電話を掛けて来た男性は彼女の許婚だったそうです)

ついこの間も日本からジャカルタへ着いた日の夜
『腹水が溜って苦しんでいる女高生が居るので助けてあげてくれ』
と友人に頼まれ、直ぐ500万ルピアの現金を病院へ持って行かせたのですが、腹水を抜いている間に亡くなってしまったそうです。
お墓で友達の女高生たちが泣いている写真が携帯へ送られ、助けられなかった哀しみを味わいました。享年16歳でした。

この様にインドネシアでは医療体制が整っておらず、簡単に人が死にます。
寿命と言えばそれまでかも知れませんが、日本であれば助けられる命です。

こんな中でのインドネシアコロナ禍です。
死亡率がシンガポールの4倍あっても決して不思議ではありません。
日本でさへも第二波、第三波が懸念されるコロナがインドネシアで簡単に収まるとは思えません。
今のところビジネスや観光を目的とした外国人の入国を8月31日まで禁止しているそうですが、9月に収まるとはとても思えません。
故にこれは長い戦いとなるでしょう。
インドネシア政府は日本政府と同じく人命も経済も大事というスタンスを取っております。
広域行動規制(PSBBと呼称)なるものが各地区に発令されておりますが、この制限を緩めようとしております。
しかし感染者が毎日2000人も出ていながら規制を外せばその先は容易に想像がつきます。

インドネシアではコロナウイルスとの共存する生活を『New Normal』と表現しております。
何が新しいのか?
ソーシャルティスタンスを守って、帰宅したら手洗い、外出時はマスク着用等々でしょう。
しかし、日本でも守れない鬱陶しい事を熱帯のインドネシアで守れましょうか?
信用できない病院を抱え、尚且つその病院へも行けない貧しい人々が多く住むスラムでコロナが蔓延したら?
ブラジルがその答えを見せてくれております。
感染爆発を起こすか、起こさないまでもズルズルといつまでもニューノーマルが続く事になりましょう。

そんな中で我々は仕事をしなければなりません。
インドネシアには沢山の日本企業が工場を持っております。
工場は廻さなければなりません。
今は『コロナなので仕方ない』と皆が思っております。
その前提は『いつかコロナは収束する』です。
だから今は仕方ない、我慢するしかない、となるのです。
でも、収束しなかったら? ズルズルと続いたら?
『明けない夜はない』『止まない雨はない』と言います。
でも、コロナが早期収束するという保証はどこにもありません。
そうなれば根本的に生き方を変えなければいけないでしょう。
インドネシアの人々も口ではニューノーマルと言いますが、本心はコロナが終わってオールドノーマルに戻れると思っているでしょう。
その期待が裏切られたら?

買い付けは検品を条件とします。
契約して製品が出来てきたらインドネシアの工場を訪れ、抽出検品して中身をチェック、問題無ければ積み込みを了承する。これが我々材木屋のオールドノーマルです。
でも、コロナのせいで検品に行けなくなったら?
検品もせずに積んだら不良品が出てもクレーム出来なくなりましょう。
検品しないのはバイヤーとしての権利放棄だからです。
不具合が出てもクレームが出来ないとなれば、恐ろしくて買い付けなんぞ出来るもんじゃありません。
これでは商売が出来なくなります。

ではニューノーマルな世界でこの点はどうなるのでしょう?
それは、検品をしなくても良い工場を探すか作るかして取引する事です。
ミツバチが花を巡って蜜を吸う様にあちこちの工場から買い付ける取引ではなく、決まった相手からだけ買い付ける時代が来ると思います。
信用できる工場が探せなければ自分で作るのです。
自分の為にODM(Original Design Manuracturing)生産を掛けてくれる工場を探すか建てるかするのです。
買うのではなく一緒に作るのです。
そんな工場があれば検品の必要は無くなります。
日々の品質管理が検品となりますから。それも全数。
そうすれば日本に居ても安心してインドネシア工場の製品を受けられます。
全数検品ですから今までの抽出検品以上に安心です。
その為にはルールを守る様工場を指導して育てなければなりません。

インドネシアでの仕事を経験された事のある方でしたら頷かれると思いますが、『いくら教えても間違える』『同じミスを犯す』、我々と同じ人間なのに何故インドネシア人は同じミスを繰り返すのか?ノウハウは定着しないのか?と悲観された方も多かろうと思います。
同じミスを犯すのはこちらの云う事を聞いていなかったのだ、と断定してはいけません。
良く現場を見て下さい。
昨日教えた人間と今日ミスを犯した人間は、同じ人ではないのです。
極端に言えば『昨日教えた人間は辞めて居らず、今日ミスを犯した人間は何も教えていない新人』なのです。
つまりインドネシアの工場では現場作業員の定着率が悪く、頻繁に人が入れ替わるのでノウハウの継承が難しいのです。
毎日人が入れ替わるのであれば、毎日作業手順を教えなければなりません。
インドネシア人の能力が問題なのではなく、人が入れ替わる事が問題なのです。入れ替わっているのに教えないのが問題なのです。
新人に見よう見まねで仕事をさせてはいけません。
毎日が新人研修だと思って対処すれば良いのです。
もしくは人が入れ替わらない様に、周りより良い条件で雇用すれば良いのです。
最低賃金制なのでどこの工場も最低賃金で雇用しようとします。
これではより良い賃金を狙って人は流動します。
流動させない様に賃金を高くするか、最低賃金にしておいて流動する事を前提とした研修体制を組めば良いのです。そうすればノウハウは定着します。

この点に気付いた小職はクロスチェック方法を考えました。
現場従業員は人数が多いので最低賃金で雇用します。
それを監視・管理する現場マネージャーは他社より賃金を高くして固定化させます。
そしてマネージャーに作業手順を徹底して教えるのです。
流動的になる現場作業者を同じ現場に立つマネージャーに管理させるのです。

ここで間違えてはいけません。
インドネシアでは『マネージャーは管理職として現場作業職の上に君臨するボス』として振舞う人間が多いのです。
ミーティングと称して現場を離れる事が多くなり、現場の管理が抜けます。
これでは意味が有りません。
現場作業者と同じ様に常に現場に立っているマネージャー、つまり現場長です。
彼等は『現場の作業者と同じ目線で常に作業者が手順通りに仕事をしているかを監視する』クロスチェックが仕事です。
製品の検品ではなく作業者の検品です。
撥ねるんだったら貴重な製品ではなく言う事を聞かない不良作業者を撥ねるのです。
インドネシアではやりっ放しの工場が多いのです。
これをクロスチェックする事に依り補うのです。
手順に違えた場合はその部分の作業を止め、作業者に間違いを指摘し、正しい手順で仕事が出来る迄監視します。
これを『ストップシステム』と名付けました。
決して管理職としてのマネージャーではありません。

クロスチェック体制を敷けば、作業者が入れ替わっても対処出来ます。
これで初めてノウハウが現場に定着するのです。
自分が気付いたこの方法を確かめる為12年前にインドネシア法人であるKIIS社を設立し、現場長を養成しました。
そして彼等に現場を見て貰っているのです。
小職がいくらシャカリキになっても365日現場を見られるわけはありません。
KIIS社に代わりをして貰っているのです。
KIIS社は小職の目であり手なのです。
そして今、小職はコロナ禍でインドネシアへ行けなくなってしまいました。
毎月日本とインドネシアの間を行き来していた小職が3月28日に帰国して以来既に3か月以上も日本に居ります。
はからずも己の考えたクロスチェック体制の意義を確かめる絶好の機会となりました。
今日もインドネシアの現場ではKIISの社員が現場に立っております。
そして小職は日本で指を咥えて報告を待っているのです。

コロナ禍が引き起こした『小職のNew Normal』です。

 

 

2020/714/受信分