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インドネシア通信

 :: インドネシアは泣いている ::     神谷 典明

最近のインドネシアほど天変地異の多い国はないでしょう
バンダアチェーで起こった有史以来の大津波から始まり
余震とも言えないようなニアスの大地震 
そしてジャワ島につながる幾つかの火山の噴火
はたまたカリマンタン各地では洪水の発生も頻発し
まさに火責め 水責めの日々です
朝日新聞が書いているように 1000匹の羊を生け贄に捧げてでも
神の怒りを鎮めたいと思うのは人情でしょう
現実にイスラム社会では煩雑に大きなお祈りが行われています
一体インドネシア人のどこが神の怒りに触れたのでしょう

インドネシア人は日本人から見れば実に慎ましく暮らし
貧困の中でも明るさを失わずに他人と助け合いながら 生活している庶民が殆どなのに、、、
彼らの嘆きを神は聞き取ってくれないのでしょうか?
まさに神も仏もない状況に落ち込んでおります
それでも懲りずに神にすがり 他人を思いやる心を持って
明るく生きている人々に救いはあるのでしょうか?
神が正しい人の味方ならば どうしてこのような慎ましやかに生きている庶民を
悲しみのどん底に追い込むのでしょうか?

と、情緒的に見れば以上のごとくになります
しかし冷静に見ればこの状況は大きな地球的変動の現れのひとつであり
それがインドネシアに現れただけのことでしょう
地軸傾斜の変化(?) 地球温暖化 気候の変動期入り、、、、
各種の変動が地球を襲い その一部が偶然、必然として
インドネシアの地に現れたのでしょう

インドネシア 特にジャワ スマトラは火山帯の上にあります
同じく地震帯の上にもあります
これで地震や火山活動のない方がおかしいのです

霞むジャカルタの摩天楼
霞むジャカルタの摩天楼

そのわりにジャカルタの高層建築はひ弱です
果たして耐震免震構造になっているのでしょうか?
ヌサンタラビルと言う高層ビルが街の中心街にそびえております
聞くところに依りますと 日本のゼネコンが建てたビルだそうです
日本人の間ではジャカルタで地震が起これば このヌサンタラビルを除いて
全て崩壊するのではないか、、、、と言われていた時期がありました
それほどインドネシアの建築は危なげなのです
鉄骨組みをして 昔はその間にレンガを張り巡らしただけ
今はレンガの代わりに強化ガラスや樹脂パネルを張り巡らしただけ
ビルが揺れて骨組みがひしゃげれば 
たちどころにこれらは はずれて落ちてくるのではないでしょうか 、、、
ジャカルタでもたまには地震があります
揺れるとビルに居る人々はすぐに外へ飛び出し ビルの周りに集まります
これではガラスの雨に身を晒すだけのことです
日頃地震がないので 少し揺れただけでも彼らの驚きは大変で あっという間に逃げます
取り合えず様子を見てみよう と言う余裕がありません
逃げ遅れんのは日本人ばかりです
同じことはシンガポールでも言えましょう 上海でも言えるかもしれません
地震帯の上にないからと言って安心は出来ません
地殻はマントルの上に漂っているプレートなのですから
長い目で見れば地震帯も地殻も動いているのです
いつ下に地震帯が現れるのか、、、、
いつないはずの地震に襲われるのか、、、、
それこそ ”神のみぞ知る” でしょう
このような状況を知ってか知らずか 人間は高くそびえるビルを財力に任せて建て続けます
飽くなき事業欲 名誉の証として、、、、
際限のなき欲望を膨らませ続ける人間達の存在は まるでバベルの塔の時代と変わりませんあのころ神様が怒って人間を滅ぼしたのであれば
今同じようなことが起こっても不思議はないでしょう
”神も仏もない”、、、、のではなく 人間が神(自然の摂理)を崇めなくなっているからこそ
神が見えなくなっているのでは ないでしょうか???
”足を知る その心こそ宝船 宝の数々積み残せじとも”
昔の人はこう言って満足の価値を見出していました

人間は自然に対してもっと謙虚になってもよいのではないのでしょうか?
なんせ 2mに満たない我々なのですから
人間は己の欲望に枷をはめてもよいのではないでしょうか?
なんせ有限な自然の中で生かされているのですから

インドネシアは泣いている
人間の思い上がりを泣いている
神に変わって泣いている
神を求める心が欲しいと泣いている
足を知れと泣いている

我々全人類の代わりにインドネシアの人々が犠牲になったのでしょう
1000匹のヤギを神に捧げる代わりに 
20万人ものインドネシア人を 神に捧げてしまったのでしょう
 

  
merika Cina ropah olland 

   過日 冗談好きなインドネシア人に教えられ 思わず信じてしまった私 (S)