ジャワ・ガムランの楽しみ-Tenggang rasa- 

                         風間 純子

 

私は子供の頃、
大人になればいろいろなことを知り、理解し、泰然自若として暮らすことができるものと、
なぜか漠然とそう思っていました。
ところが、不惑の年を越えた今、むしろ毎日のように悩み惑うこと多く、
「いつまでも大人になれないな」と情けなく思うのです。
今となっては、10歳の頃の自分のほうがずっと「しっかりとしていた」ような気さえします
また、故郷をでて東京で一人暮らしをしていた大学生時代、
私に何も恐いものはありませんでした。
なぜいきなりこんな話をするのかというと、ガムランを学び、教えることを通して、
そんな自分が今になってようやく見えてくるようになったと感じるからです。

以前にもこのコーナーで書いたように、ガムランは親しみやすい音楽です。
最もシンプルな曲であれば、
初心者でも2時間も練習すればある程度の合奏ができるようになります。
それを体験した人の中には、大きな感動を得て、
さらに奥深いガムランの世界を知りたくなる人も少なくありません。

そういった曲の楽器構成は、
大ゴング+クンプル、クノン、サロン、大ボナン、小ボナン、太鼓などからなっていて、
それぞれに異なるが一定の規則に基づいた手法で演奏をしています
 


よって、一つの楽器の演奏法を覚えれば
それを別の楽曲で応用することができますから、
ひとつのパートを極めようとすれば、
それでも十分に楽しむことができます。
演奏技術そのものは
西洋の楽器のように才能が必要だったり、
かなりの努力と訓練を
必要とするわけではありませんから、
一つのパートを覚えた後に別の楽器に
次々とチャレンジする楽しみもあります
そんなわけで、   
たいてい初心者はすべての楽器を
マスターしたくてうずうずとしてきます。
これができたら次はあの楽器を・・・・・と、
目は爛々と輝き、
そして間違えないようにわき目もふらず、
自分のパートに没頭します。
首尾よくできたときの満足感、
そして、ちょっと間違えてしまったときの悔しさ。
私もそれを経験してきたので、
皆さんの気持ちが手に取るようにわかります。

それはそれは本当に楽しい。
♪~ガムラン、らんらん♪   
ところが、そうして何曲か覚えた後に、
最初に習った曲を復習してみるとどうでしょう。
実は、そこで多くの人が
はっとする局面に遭遇することになるのです。
♪~ガムラン、らんらん~♪と演奏していたはずなのに、
なぜここへきてはっとしたり
ドキッとする事態に陥るのでしょう。
それはたとえば、
規則的に鳴っていた
クトやゴング、クンプルやクノンが 
鳴るべきところで鳴らなかったり、
間違った音を出したり、
ボナンのリズムが自分のパートとずれていたり・・・・・。
そんな周囲の事態に、
気付いてしまったからなのです。
そういう事態ならずっと前からあったのに、
最初のうちは自分のことで精一杯で
回りが聞こえなかっただけなのでした。
知らぬが仏。無邪気な子供です。
あるいはまるで厚顔無恥な青年です。 
それが、
ある程度ガムランに親しみ、いろいろなパートを知り、
他人のやっていることが理解できるようになると、
突然不安になるのです。
「あ、いつもと違う。私が間違っているのか、それとも他の人か?困った。どうしよう」
こうなると、もはや♪~らんらん~♪してばかりいられません。

そうなのです。
ガムランはすべての楽器がお互いに影響を与えあっているのです。
たとえシンプルな役割のパートでも、いつもは決して目立たないパートでも、
それぞれが重い責任を背負っているのであり、それがあるから合奏が成立しているのです。
これって、まるで人間の社会に似ていませんか?あなたがいて私しがいる。
一見取るに足りないと思われがちな作業(仕事)が、
実はなくてはならないとても大切な存在のです。
そして、そういった世の中の道理は
知れば知るほど恐いですね。
でも、それを乗り越え、
周りをきちんと把握することができる大人がいて、
初めてまとまった社会が
成り立つのではないでしょうか。
ですから、 
ガムランを演奏していてはっとしたり
ドキッとする事態に遭遇するということは
ようやく周りが見える(聞こえる)ようになったからであり、
ガムラン奏者としての成長の証でもあるのです。
ジャワのおじさんたちの演奏するガムランを聴くと、
それはそれは心地よいものです。
それは、もちろん演奏経験が長く技術も高いからという理由が一番でしょう。
しかし、彼らにも「間違いがない」わけではありません。
でも、全員が常にさりげなく、
自然に周りに気を配っているからこそ、
そこには安心感があります。
インドネシアの人たちは、
このように周りに気を配り、思いやることを
「テンガン・ラサ tenggang rasa」と言っています
ガムランにもその精神がとても大切。
そしてそうやって周りをきちんと見ながら、
自分の責任をしっかりと守っているのです

冒頭に告白したように、
私はこの歳になってかえっていろいろと迷い恐れも多くなったわけですが、
これもようやく周囲が見えるようになってきたことの証なのかもしれません。(今頃?・・・・)
「わけのわからないこの現代社会で、私にも与えられた役割というものがあるんだろうな。
それをしっかりやれっていうことかしら。」
そんなことを思いながら、
奥の深いガムランの謎にもっともっと近づきたいという衝動に駆られるのでした。

  (現在、南山エクステンション・カレッジにて 『ガムラン演奏講座』 開催中です。
   ご興味のある方、一緒に楽しみませんか?) 

 

浜松楽器博物館 (浜松市板屋町108-1)に、ピカピカに磨かれたJawa Gamelan 一式が 展示されています。
インドネシアで見るのとは、又違った気分です。

ジャワ・ガムランの楽しみ-Laras- 

                         風間 純子

 

ガムランとの出会い

 

 ここ数年、盛んに「スローライフ」という言葉をあちこちで耳にするようになりましたが、

賛同する向きはまだまだ少数派かもしれません。

私も、思い起こせば小さい頃から「早くしなさい」「遅れないように」などと

耳にタコができるほど聞かされ、高度成長期に育った私も皆と

「足並みをそろえて」生きてゆくことを自然と覚え、また「競争」の日々を送り

結果として常にセカセカとした人生を歩んできたと思います。

 そんな私に初めて「スローライフ」の心地よさ、その効用を教えてくれたのは、

ジャワのガムラン音楽と舞踊だったと思います。

音楽を専門的に勉強したいとわき目もふらずに受験勉強を続けてきた私にとって、

音楽とはピアノやバイオリンやオーケストラ、つまり西洋音楽でした。

ところが、無事に入学した大学の音楽学部で私はジャワ・ガムランに初めて出会い、

その得体の知れない不思議な音楽との付き合いが始まったのです。

 ガムランを学び始めた1980年代初頭、私の興味はその音楽をいかに早くマスターして

上手に演奏するか、というところにありました。

なぜならば、ガムランにはそれまで学んできた西洋音楽とは

リズム感、音階、音楽構造のすべてにわたって異なる不思議な魅力があったからです。

どうもうまく間がとれない、西洋音階とは微妙に異なる音程を

どうやったら正しく演奏できるのか・・・・

当時の私は、はやく上手になって ジャワ人のように演奏できるようになりたい、

そういう思いで一生懸命に練習を繰り返していました。

「スローライフ」などという考え方は全くなくて緊張感ばかりを感じ、

うまくできない自分に焦りを感じていました。

 どうしてジャワの人たちはあんなに素敵な音楽が演奏できるのだろう?

やっぱりこれはジャワに住んでみるしかない。

大学院に進学した後 奨学金を得るチャンスに恵まれ、1987年から1989年の約1年半、

私はジョグジャカルタに滞在することができました。

(この時の様々な経験については、拙著『ジャワの音風景』を読んでいただけると幸いです)この留学の目的は、実はジャワの大衆演劇についてのフィールドワークを行うことであって、ガムラン音楽を学ぶことではありませんでした。

それでも、留学中の私の身の回りにはガムランや舞踊が当たり前のように存在していて、

まさに、ジャワの芸能を肌で感じることのできた1年半でした。

しかしながら、私がガムランやジャワ舞踊から確実に何かを学んだのだ、と

気付いたのはむしろ帰国してからのことだったと思います。 


ララス=調和

 帰国後の慌ただしい日本の生活の中でガムランの練習を再開し、

習った舞踊を自宅でただ1人練習している時に私の意識に強く訴えかけてきた言葉は、

ジャワ語のララスlarasという概念でした。

ララスというのは、日本語で言えば「調和」に近い意味を持つ言葉です。

他人との調和、

これは、アンサンブルであればおそらく洋の東西を問わず必要不可欠の概念ですね。

ただ、ガムランにおけるララスは、どこかもっと深遠な意味合いがあるように

思われてなりません。

 これをさらに強く実感するようになったのは、若い学生達に

ガムランを教える立場になってからでした。

1990年代の初頭、私は幸運なことに先輩の所有するガムランのハーフセットを

預かることになりました。

当時教鞭をとっていた東京の私立大学に保管をお願いすると、

アジアブームも追い風となって学生達はガムランに興味津々。

ところが、熱心にガムランに取り組む学生達の様子から、様々なことが見えて来たのです。

 私は、ジャワの村人たちのやり方を倣って、学生達には楽譜を用いることなく、

耳と身体で曲を覚えるように指導しました。

もしかしたら、とっても無謀なことなのではないかという不安もありました。

私だって芸大時代にガムランを習ったときには、楽譜を使っていましたから。

ところが、初歩的な曲ではありましたが、なんと彼等は最初の60分くらいで見事に

1曲を覚えてしまったのです。とても感動しました。

やっぱり、ガムランは優しい(易しい)音楽だったのだ、と。

「音楽が苦手だから」と後込みしていた体育会系の男の子が、

「俺にもできた」と嬉しそうにしているのです

ガムランは、「才能」がなくとも「根気」があれば、必ず誰でも演奏することができます

要するにゆっくりと、繰り返し、自分のペースで練習すればいつか身に付くのです。

そのようにして、ちょっと緊張ぎみの学生も、音楽に不馴れな学生も、

演奏することができたときには大きな達成感を感じるのでした。

 ただ、このときに問題になったのは、これらの「覚えの悪い」学生ではなくて、

むしろ「覚えの早い」学生達でした。

楽譜無しで、見よう見まねで音楽を覚えるのですが、

音楽的才能の豊かな学生、器用な学生はすぐに覚えてしまいます。

すると彼等の多くは、早く覚えることができたと優越感に浸り、

なかなか覚えられない仲間をイライラして見ています。

また、ひとたび覚えて自信が付くと、皆得意になって「張り切って」演奏します。

張り切るのはよいのですが、他人の楽器の音を聞かずに自分ばかり主張してしまうのです。その上、覚えの早い学生は教えるそばから記憶しますから、

難易度の高い楽器や派手な楽器を演奏したがり、

たまにしか音を鳴らさない地味なパートを軽視します。

ガムランの音楽構造から見れば、この「たまにしか鳴らされない」楽器の音がより重要なのに。これがなければ、音楽が成立しないのに。

これらの楽器が土台であり、大黒柱であり、梁であるのに。

こんな風では、心地よいガムラン音楽は出来上がらないのです。

私はその様子を見て不愉快になりました。

ただ、これはすべて私自身の通った道でもあったのでした。

 全てのパートの音がきちんと鳴らされているのに気持の良い音楽になっていない。

これは、演奏の技術的レベルが低いからではありません。

ガムラン音楽は、音を出すこと自体はとても簡単です。

ほとんどの楽器が、叩けば音が出ることになっています。叩くリズムもたいして難しくはない。ですから、一通り演奏できるようになったらそこが出発点なのです。

ここから、「ララス」が必要になるのです。

当たり前に弾けるようになったら、自分を主張せずに周りの仲間の音を聞く。

ガムランには指揮者がいませんから、周りの仲間の演奏する速度に

お互い加減をしながらあわせてゆく必要があります。

また、高度な演奏技術を要する楽器を習得したならば、

お互いの演奏を聴きあって即興的なバリエーションを加えたりもします。

そうやって、自分が演奏していることを忘れるくらいに、

周りの音の粒の中に自分を埋没させる。

そうして、すべてのパートがどれ一つでしゃばることなく、

やわらかで大きなシャボン玉のような状態になったら、

それはそれは心地よいガムランのアンサンブルが出来上がるのです。

そして、この状態が「ララス=調和」。

この調和したガムランの音は、すべてが混ざって溶け合ってその場の空気となって立ち上り、最終的には演奏している自分たちとそれを聞いている全ての人たちに優しく降り注ぎ

心の中まで浸透してゆきます。

だから、そんな理想的なガムランを聞いたときには、

聞いている人たちの心もララスの状態になるのです。

喜怒哀楽、すべての感情から解き放たれた調和のとれた心地よい状態。

これに気付くまでに、私は長い時間がかかりました。

ガムランを習いはじめて25年。

なんとなく辛くなってガムランから離れたときもあります。

途中で練習をサボったり、よそ見をして他地域の音楽の研究をしていたこともあります。

それでも、また戻って来たときにガムランはそっと優しく私を包んでくれたのでした。

それは、ジャワの哲学にあるララスの精神が

ガムランの根底にもあるからなのではないでしょうか。

ガムランは、その音楽のテンポがゆっくりとスローなだけではなくて、

ジャワの地に遠い昔から当たり前のように大切にされてきた「スローライフ」、

つまり「ララス」の精神の実践そのものなのだと思うのです。