Sana Sini Indonesia 

 

トラジャへ行く         中島 苑子

                

(文の最後に神谷典明さんトラジャについての文があります   合わせて、お読み下さい) 緑字

 

初めてインドネシアへ行った時のガイドブックに

”幻のコーヒー トラジャ”とありました 幻のコーヒー?

それから何度かインドネシアへ行くと ”幻のコーヒー”ではなく

空港売店、ショッピングセンターに日本語でトラジャコーヒーと書かれて

バリコーヒーと並んで売っています

な~んだ、幻ではない 日本人はこういうのに弱いな~と思いつつ、

そう、今年はトラジャへ行こう!このコーヒー園を見に行こう!

ところが根っから多忙人間の私 トラジャの事を勉強する間もなく

行きの飛行機内で、にわか勉強

ところが寄る年 波に勝てず、何度読み返しても 位置関係がつかめません

どうも、葬式に特徴 伝統家屋のトンコナンが、あるらしい

 

マカッサルに着きました(この音の響きが好きです)

朝8時半にホテルを出発 これから約300K 10時間車の旅です

マカッサルからトラジャ県まで どの家も、どの家も高床 木の家 90%近く

Rumah tangga を実感

途中、家の中を見せてくれる、おばあさんの家があり中へ

なるほどこうなっているのか、、、板壁 床板の隙間から涼しい風が入ってきます

思うに水害、外敵に対して高床なんだろうと、、

最近私は膝が痛いので、Rumah tanggaを見て、毎日毎日上り、下り大変だな~と

元大統領 ハビビさんの家も見ました(Parepareだったか)

 

写真をクリックすると拡大します

 

運転手さんは中々の洒落者

Barruに着くと ”Akhirnya kita sampai Barru" "Akhirnya kita sampai Parepare"

トラジャ県入口に着くと ”Akhirnya Kita sampai Toraja "と、言います

ま、そのぐらい遠いということでしょうね

”やっと着いたぜ トラジャ!!”

 

私はトンコナンハウスはランテパオ周辺観光地に少し残っているだけと思っていたら

何の、何の トラジャ県に入るとトンコナンのオンパレード

夕方6時頃 ”やっと着いたぜ ランテパオ”

運転手さんに”疲れたでしょう?”と聞くと ”Biasa" でした

 

トラジャは、ほとんどキリスト教

泊まったクラシックなホテル近くに、イスラムモスクがありましたが

朝、夕、例のマイク呼びかけ ほんの短時間 音量も小さく

多数の中の少数はこういうことなんですね

”ここはキリスト教だから、危ない!”と言って、コハルさん、運転手さんは

数日の昼食はハラルの店で弁当を作ってもらいます

 

翌朝 洒落者運転手さんが ”ラッキー3” 雨期にもかかわらず

”雨降らず、今日は週一の牛のパサールがある、トラジャ族の葬式がある”

と言うことで、まず パサールへ行きました

もうすでに多くの水牛ちゃんが集まっていて 百頭もか?

ほとんどが黒 中に白の水牛ちゃんがいます

これは、お祈りに使うとかで300万円(ルピアではありません)ほんとうに高いです

今日売れなければ、また来週ここに来るそうです

この広いパサール ふと気がついたら フラフラ見物している女は私だけ

パサールの出口に鍛冶屋があり 刀に焼を入れ、隣ではグラインダーでジャーッと

研いでいます それは、それはきれいにスパッと切れそうです

 

今度はトラジャ族の葬式を見に行きます

運転手さんが ”儀礼として、タバコ1カートン買って行った方が良い”

店に寄ります おばさんが ”葬式儀礼なら このタバコ!”

葬祭場に着くと沢山の人がすでに集まっており、又、 トラックに乗って続々来ます

葬祭場の周りは桟敷席が沢山建てられています

喪主に挨拶してタバコを渡すと ”こっちへ ”と喪主の桟敷席に案内

この桟敷席は3っに分かれていて、タバコのおかげで、喪主の接待を受けます

コーヒー、お菓子など、、

隣はオランダ人 7-8人御一行 ご挨拶がないので 狭い3畳の所に押し合いへし合い

喪主に話を聞くと奥さんのお母さんが、昨年夏に亡くなって半年過ぎて、、、

この葬式を、今迎えているという事でした

お金が貯まらなければ、ず~ッと、それ以上の長い間、葬式は上げられないそうです

でも、どうやってミイラにするのでしょう?

私の語学力では到底聞けませんし、聞くのも、はばかれる事でした

奥さんも、ご主人も、この日を迎え 安堵か にこにこ顔です

それぞれの桟敷席の前には 豚ちゃんが木の棒に縛られて沢山ころがっています

広場にはトンコナンから出された、お棺が置いてあります

水牛ちゃんも次々と引っ張られて来ます

コハルさんが ”こっちへおいで!”と、広場を歩いていた、私を呼びます

広場から一段下に、縛られた豚ちゃん3匹

それを屈強な男の人が、パサールで見たような刀で一刺し

血が一気に流れます 豚ちゃんは少しもだえ しばらくして、おとなしくなり

落ち着いたところで、男の人が腹部の辺りに刀を入れ 手早く中の内臓を取り出します

その内臓のきれいなこと ピンク色と言うか、、、

取り出した後 ガスバーナーで豚ちゃんの毛を、くまなく焼きました

生まれて初めて見た、この光景は、何と言ったらいいのか、、、

残酷とも思はないし、あまりにも手際よく 鮮やかで

思いは、”そうか!こうして人々はこの捧げ物の恵みを頂いて生きているのだ! ”

コハルさんが思わずつぶやきました ”初めて 知った ”

葬式は1週間か、それ以上 続くらしいです

沢山の参列者 それをもてなす費用 すごいですね

葬式が終わると、お棺に納められている人(ミイラ)を洞窟に持っていくそうです

 

今度はその洞窟を見に行きます

その洞窟の中は、ここかしこに、お棺があり、長年経ったお棺は傷んで

頭蓋骨や骨が見えます 大きな岩山に穴を掘って入れてあるのも、、、

最近のお棺では、崖に吊るされているのもあって 大分傾いています

コハルさんと ”なんだかね~ ”

我々の感覚では、ちょっと理解できません

案内してくれる若者に ”あなたは亡くなったら、この岩山に納められたい?”

と、聞きますと ”もちろん!”

お棺のそばにはコインやタバコが何本も置いてあります

その時はどうしてか分からなかったのですが、そう、日本でも同じ

お墓にお参りした時 故人の好きだった物を供えると同じなんですね

タウタウという、故人身代わり人形も岩山に並んでいます

あちこちの、お墓を見て回りましたが、ある岩山のお墓を遠くから見たら

タウタウが見えます そして、その下にも沢山のタウタウが、、、、

近くに行ったら マカッサルから来た大学生の一団でした

トラジャはとにかく大きな岩がアチコチにいっぱい

そして、その岩は、ほとんどが、穴を掘ってお棺を入れるお墓

岩のお墓が一杯になって入らなくなったり、一族の新たなお墓を作るときは

自宅の隣に一族のお棺を入れる建物を作るそうです

 

さて、今度はトンコナンハウス

トンコナンのオンパレードと最初に書きましたが、山間の農家、街の中もトンコナン

でも、最近は各家の象徴として建てられているのかと思いました

昔 日本でお蔵を建てて一人前とか、あそこもお蔵が建ったとか 言いました

ですが、屋根はトタン葺き

ガイドブックにある伝統家屋と称してある所 3ヶ所訪ねましたが

屋根は草がボウボウに生えていて、近寄って見ると、なんだかオバケみたい

(見たところ竹葺きにみえましたが、あの高い屋根の草は取れません)

私の故郷の村は、最盛期人口 12000人が今や 3000人を切るあり様

廃屋がアチコチ見られ胸が痛みます

ガイドブックにある観光のトンコナンはチョットそんな感じ

でも、何がしかの入場料は取りますので、

道を広げたり、入り口広場の整備にも使われているようですが、

草ボウボウの屋根も手入れして欲しいな、、、

成功した人は新しい ピカピカのトンコナンを建てます

道すがら、それはそれは大きなトンコナンがあり、寄りますと

奥さんが ”是非見て ”と言われおじゃまします

ご主人がマカッサルで銀行員をしていたそうで、退職金つぎ込んで、建築中

お金が底をつき、中はマダマダ 奥さんの安らぎの場所に使っていて

普段は良く見る、同じ敷地にある、普通の家で暮らしているそうです

そうですね、あの階段を毎日上ったり、下りたりは大変です

 

トラジャの棚田で

美しい田園風景と言われていますが、とにかくトラジャは大きな岩が

田んぼのあちこちに、ゴロゴロ 

大きな岩は、やはりお墓にも使われています

この地域は、昔 大きな噴火があったのか?

大きな岩の上で、女の人が稲を叩いて脱穀しています

棚田を歩くと、学校が終わった小学生の一団と会います

”グラ、グラ アメちょうだい!” ”ごめんネ アメ持ってないの”

ランテパオを一望できるバトゥモガ 

眼下に、どこまでも続く棚田、遠くに町が見えます

この棚田 人力で、米を作るのは大変なこと、

今の日本では、とても考えられないことです

 

織物の村で

もちろん、ここもアチコチにキリスト教会があります

村の道をしばらく歩くと トンコナンが10棟ぐらい建っていて(トタン葺き)

大工さんが柱を削っています ”柱の木は何ですか?”私の語学力では通じませんでした

私たちが歩いていると、女の人が ”今織っているから、来て!”と呼びます

工房の中には、織られたイカットが沢山飾ってあります

その隣の工房では、おばあさんがイスに座って店番 ”もう年だから織れないよ ”

その隣ではもっと年を取った、おばあさんが糸繰りをしています

訪れる人もない静かな村の工房 

機織りの女の人は、私達が大工さんと、話が終わって戻ると、もういませんでした

幻のコーヒー園へは、結局行けませんでした

地元ランテパオのコーヒー豆店で、お土産のコーヒーを買います

女の人が大きな甕から、カップで豆をすくい、あっと言う間に粉にし

あっという間に、袋詰め

何と言う手際の良さ

もちろん、日本語ラベルなし、現地調達

 

今までアチエ、トバ湖、トゥンガロン、ジャワ各地等、ごく一部行きましたが

スラウェシは何か、今までとは何か違う文化を、ひしひしと感じました

木の家、外壁のデコレーション、トラジャの人 うまく言い表せません

 

そして又、10時間ほどかかってマカッサルへ戻ります

洒落者運転手さん

 ”Akhirnya kita berpisah ついに別れの時が来たぜ! お元気で!”

 

 

 

2004年に名古屋大学農学部林産学科の故奥山教授を案内して

トラジャへ入った時の写真を添付します。

 

トラジャ族は葬式のために生きる民族と言われております。

彼等には日本の書生制度に似た制度があり、村で成功して都会に住む

人に子供を託して教育してもらいます。

故に家族はインドネシア中に住んでおります。

葬式は彼等が帰郷するまで皆で待っております。

時にはそれが2年にも3年にも亘ることがあるそうです。

待っている間、先に着いた親戚達を住まわせ食わせる費用は莫大です。

この為、生きている間一生懸命働くので、『葬式の為に生きる民族』、

と言われるのだそうです。

  (水牛と共に豚を使うのは、彼らの殆どがイスラム教徒ではなく

            キリスト教徒だからです)

お金の無い家族は何組か集まり資金を出し合って葬式を出します。

待っている間、遺体が腐らぬように特殊な処理を施すそうです。

エジプトのミイラの如し、です。

 

葬式後の遺体をトンコナンハウス(船を模した伝統家屋)の形をした

棺に乗せて村を見下ろす壁まで運び、そこへ穿った穴に運び入れる風葬。

穴の中には代々の遺骨が積み重なっております。

誰のお骨かは判る筈もありません。骸骨も沢山見えます。

それをご覧になった奥山先生は、

『これ記念に持ち帰っても誰も文句は言わないよね』、と聞かれました。

『先生、空港で見つかったら殺人犯と間違えられますよ!』、と答えて

笑い合った事を思い出しました。

 

突然事故でお亡くなりになられた恩師、奥山先生との懐かしい思い出に

浸れる機会を頂き、誠にありがとうございました。

 

追伸)

トラジャ族の家は船の形をしております。彼らが米を搗くときに使う臼も

船の形をしております。そうです。彼等は海洋民族なのです。

彼等は蒙古斑が出ます。そうです。モンゴリアンなのです。

トラジャ族の言い伝えに、『我々の神は北から来て米つくりを教えてくれた』、

と言うものがあります。

大成建設の方が書いておられた文章によりますと、トンコナンハウスは

日本の出雲大社と同じ『大社造り』なのだそうです。

ここから日印の間にまたがる沢山のロマンが生まれますね!!

 

トラジャと同じような民族がカリマンタンの奥地におります。

小職のタラカン時代の友人達(恋人達)であるダヤック族です。

ここでセレベス島とボルネオ島が繋がりました。面白いですね…!!!