【インドネシア通信 ::::: インドネシア独立記念日 】
2004/8/17 スマトラ島ジャンビ市にて
神谷 典明
一昨日ジャカルタのホテルでNHK海外放送を通して終戦記念日(本来は敗戦記念日)報道を見ました。
2日後の今日、ジャンビのホテルでSCTV放送を通してインドネシア独立記念日式典の様子を見ております。
今日はインドネシア全土が赤白の旗で埋まります。既に1週間も前から道路わきでは国旗売りが赤白の旗を売っておりました。この日は各家庭に国旗を掲げることが義務付けられているそうです。
昔は日本でも旗日に各家庭で日の丸を掲げていました。
全国全土でこの日独立を祝う行事と各種競技が行われます。競技は仮装行進であったり奥さん背負い競争であったり、油を塗った木登り競争であったり…まるでインドネシア全土で運動会を開いているようなものです。
いずれも住民自身が参加して独立の喜びを体で表しています。
日本の敗戦から2日後の1945年8月17日。
スカルノ初代インドネシア共和国大統領とハッタ同副大統領がインドネシア共和国の独立をラジオを通して広く世界に宣言したのです。
しかし本当の戦いはこれからでした。
この独立を認めない宗主国オランダとの独立戦争が始まり、1949年までの長く辛い戦いを続けたのです。
スカルノ氏は文民ですので戦争指揮は出来ません。
そこでインドネシア民族を代表してこれを指揮したのがスディルマン将軍だそうです。
大変若き将軍であり、確か30歳代だったと聞いております。
この若さでインドネシア独立軍を指揮したのです。
しかも後半は病に倒れ、それでも兵が担ぐ戸板に乗ってジャングルへも分け入ったそうです。
しかも、しかも…独立を見ずに亡くなったのだそうです。
スカルノ大統領のように功なり名を遂げた人ではなく、偉業成就を見る直前に倒れ、爽やかな思い出だけを国民の心に残して消える…まるで諸葛孔明や竜馬のようなイメージが湧き上ります。
日本ではまったく無名な将軍ですが、インドネシア国民の間ではスカルノ氏に勝るほどの人気を得ている建国の英雄なのです。
ジャカルタ市一番の目抜き通りはスディルマン通りと云います。
インドネシアは敗戦国日本軍の協力を得て大きな犠牲を払いながらも何とか独立を勝ち取りました。
ここに流された血の有り難さを思う気持ちが今朝の国旗掲揚に現われ、その喜びが各種競技に顕れるのです。
独立という作業を経ないで成立した日本国民にその有り難さは解らないでしよう。
辛い思いをして得たものでないとその価値は判りません。
ちょうど日本人が『飲める水』の価値を判らないように。
つい最近ジャカルタスディルマン通りの中央分離帯に童顔で外套に身を包んだスディルマン将軍の大きな像が建てられました。