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インドネシア通信追伸『断食月のテロ』…の巻         神谷典明
ラマダン(断食月)でのテロをISが呼びかけ、実際に世界各地で
凄惨なテロが起こっております。
今回は開発途上国の発展に寄与しようという高邁な情熱に動かされて
活躍されておられた日本人が7人も犠牲になりました。
それも、『イスラム教徒ではない』、というだけの理由で・・・
 
イスラム教は偶像崇拝を禁じ唯一神であるアラーを崇めます。
その為他宗排斥の機運は高いです。
それがイスラム教徒以外を殺すテロになったのだと思いますが、
納得できない部分が有ります。断食月を選んでいることです。
 
断食月はお日様が出ている間だけでも人間の欲を断つ修行だと
聞いております。
欲を断つとは、食べたい、飲みたいに止まらず、怒り、憎しみ
などの感情からも解き放たれる修行だと聞いております。
そうであるならば、断食月こそ相互憎しみの体現であるテロは
差し控えるべきなのではないでしょうか?
 
以前はラマダン休戦というものが唱えられました。
実効力は余り無かったようですが、欲を捨てる修行をする月こそ
憎しみ、征服欲の権化である戦争は一時停止しなければ教義に
もとりましょう。
それなのにどうして断食月のテロを呼びかけるのでしょうか?
この点が小生にはどうしても理解出来ません。
自分が信じる宗教で欲を捨てる修行をすべき断食月に欲を出す。
これでは自ら戒律を破っているではないですか?
たとえそれがジハード(聖戦)の呼びかけであったとしても
救われたいと願うのも一つの欲望ではないのですか?
 
インドネシア語で断食の事をPUASAと言います。
満足することをPUASと言います。
この二つの言葉に関連が有るのかないのかは知りませんが、
せめて断食月の間こそ全ての欲を捨ててPUASな生活をすべき
ではないのでしょうか?
異教徒を征服するのも排斥するもの欲であることを知るべきです。
欲を捨てて満足を味わう修行をする断食月にテロを行う事は
断食月の修行に反することを知るべきです。
 
この風潮にインドネシアが無関係でおれるわけもなく、早速昨日
中部ジャワの古都、奈良に相当するソロ市で自爆テロが起きました。
 
昨夕のお祈りを境に断食月は明けました。
今日はめでたいイスラム正月(Hari Raya)です。
これで憎しみの連鎖(テロ)が断たれることを切に祈ります。
 
Selamat Hari Raya Idur Fitri,  Mohon maaf lahir dan bathin
2016/7/6, Wed)