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インドネシア通信 『哀惜』…の巻き     神谷典明

 

ジャンビの若い友人が突然亡くなりました。死因はチフス…

 

帰国前に貰ったメールでは、マラリアに罹って熱が出ていると言っておりましたが、

小職は全く信じませんでした。

インドネシア人は熱が出るとマラリア、下痢をするとコレラやチフスと称するのです。

それも、医者の診断も受けずに…。

 

返信メールで

『何日熱が出ているの?、2日間?それとも3日間?

 俺もマラリアに罹ったことがあるけど、3日目に熱が下がるのが三日熱、

 4日目に下がるのが四日熱、そして、下がらずそのまま死んでしまうのが

 熱帯性マラリア、あんたはどれ?』

等とふざけてメールを送ってました。

 

ジャンビへ入った折彼女の友人に会いました。

『病院に見舞いに行ったら大変痩せていた』、と言っておりましたので、

少し心配になりました。

その後も、『どうだ、退院したか?』、とメールで交信しておりました。

 

彼女(そう、友人はジャンビ在住の女の子)と知り合ったのはジャンビ空港の

有料ラウンジです。彼女はラウンジの経理係。

小職が工場から直接ジャンビ空港へ行ってジャカルタ便を待っている時に

汗で濡れた手拭を椅子に掛けて乾かしていたのです。

ボーディングが掛かり慌ててラウンジを出る時、手拭を忘れたのです。

彼女はその手拭を洗って乾かし保管しておいてくれたのです。

 

次にジャンビ空港を利用する際、彼女がニコニコ笑って手拭を渡してくれました。

『忘れ物!!!』、と。

それが知り合ったきっかけです。名前はウイウイック、二十歳の天真爛漫な娘でした。

 

『ジャンビはどこに泊まっているの?』、と聞かれて

定宿であるアバディホテルの名を出しました。

彼女は、『ワー!』、と言って喜びました。

『私、そのホテルに勤めたことあるの、ハウスキーピングとして。部屋は何号室?』

『いつも626号室だよ』、

『ワー!掃除したことある!!!』

と言う他愛ない会話を通して、62歳の老人と20歳の女性が友達になったのです。

 

『次回ジャンビへ来た時遊びに行っていい?』、と聞くので、『いいよ』、と言いながら

携帯番号とメールアドレスを交換しました。

そしたら本当に部屋まで遊びに来たのです。

ハウスキーピングで知っているとはいえ、ドアをノックされ、扉を開けたら目の前に

彼女が立っていたのです。

『駄目だよ、部屋に来ては!』、『中に入ったら何が起こるか分からないぞ!』、

と怒ってロビーで待たせました。

誘った手前仕方なく(?)ホテルのレストランに誘い、一緒に食事をしました。

レストランのウエートレスが、『何でトアンはウィウィックを知ってんの?』、と

ニヤニヤしながら見ておりました。恥ずかしくて食事の味も判りません。

こんな時は酒を入れて誤魔化せば良いのですが、残念ながらジャンビには酒を

持ってこない主義なのです。

62歳の老人と二十歳の娘の変な雰囲気の食事が続きました。

 

『どうして空港で働いているの?』

…『学校へ行きたいから。』

『何の学校?』

…『先生になりたいの』『家が貧しいのでアルバイトでお金を貯めているの』

 

もういけません。お節介欲が頭をもたげます。

『学費出してあげようか?』

…『本当?!?!』

『月いくら掛かる?』

…『50万ルピア(5千円)』

『オーケー、出してあげるよ』

 

かつて住んでいた心の故郷、タラカン島で看護学校に通っている女学生

(かつての部下の孫)に4年間毎月5千円の学費を送っていましたので、

簡単に請け負ったのです。

 

でも、彼女にとっては半信半疑だったでしょう、(と、小職は思ったのですが…)

何せ知り合ったばかりの日本老人が学費を出すと言っている訳ですから。 

下心があるのか、このスケベ爺!、と疑うのが普通でしょう。

 

『ワー!、本当!、アリガトウ!!』

無邪気に嬉しがるのです。何の疑問も挟まずに…

ポロス(インドネシア語で純真と言う意味)とはこの事かと思いました。

 

『本当だよ、銀行口座を教えなよ、毎月振り込んであげるよ。いつから?』

…『まだ、入試を受けていないの。入試は8月末にあるのでこれに通らないと』

『オーケー、入試が通ったら知らせて』、『頑張れよ!』

 

こんな会話をしていたのです。

次に会った時には友という娘を連れて遊びに来ました。

何とその友という娘は、いきなり、『こんにちは、姫と申します。』、

と日本語で挨拶するではないですか!それもかなり可愛い!!!

『姫?、それ何語?』

…『日本語です。女のこのことを姫と言うでしょ?』

『?????』

何と彼女達はジャンビ・コスプレ同好会の会員なのでした。

コスプレは日本のアニメが主流なのだそうです。

漫画で日本語を勉強している姫ちゃんは22歳の女子大生。

姫と言う名前の由来は、インドネシア語のプトゥリ(娘)です。

自分の名前を日本語辞書で調べたら姫と出ていたのでした。

彼女の本当の名前は、『プトゥリ』、なのです。

それにしてもジャンビでいきなり可愛い女学生に、

『はじめまして、姫と言います』、と挨拶されれば誰でも驚くでしょう。

 

こうしてウイウイックちゃんと姫ちゃん、という若い友人を二人もスマトラ島

ジャンビ市に持てたのでした。

 

『ウイウイック、入試に受かったら合格祝いをあげるよ、何が欲しい?』

…『ランドセル』

『エエ! ランドセル????』

彼女はネットでランドセルを見たのでした。

インドネシアではリュックが流行っております。他人と違ったリュックサック!

…『ランドセルを背負って大学へ通いたい!』、が、彼女の夢だったのでした。

 

『ランドセルは小学生の使うものだよ、大学生が使ってはおかしいよ!』

(値段が思ったより高いので小職はやんわり断ったのでした)

 

そして彼女の突然の死です。

高くてもランドセルを買ってやればよかった…

 

昔、タラカンで同居していたインドネシア人スタッフの中学生3年生になる妹が、

毎朝コーヒーを淹れてくれました。

『高校生になったら合格祝いをあげるよ。何が欲しい?』

…『赤いカバンが欲しい、新しいカバンを持って高校へ通いたいな!』

帰国してからカバンを探しました。

赤いカバンが見つかったのでそれを買って意気揚々とタラカンへ戻りました。

家へ着いたら彼女が見えません。

兄貴であるスタッフに尋ねました。

『彼女はどこ?』

…『死んだよ…チフスに罹って。』

 

空しくなったカバンを抱えて声を出さずに泣きました。27歳の頃でした。

同じ想いを35年後に再びスマトラ島で味わう事になろうとは…

 

運命と言ってしまえばそれまでの事ですが、本人は納得できていないでしょう。

『もっと生きたかった』、と思っていることでしょう。

日本ではマラリアやチフスで亡くなることは先ずないのでしょうが、インドネシアでは

まだまだあるのです。人の命は実に軽いのです。

残念ですがこの事実は認めざるを得ません。

 

だからこそ、『やれるときに』、『やっておかねば』、ならないのです。

『後で、後で(nanti nanti)』、がインドネシア人の口癖ですが、

今出来ることを先に延ばすと出来なくなってしまう事も有り得るのです。

『今、出来る事は今』、

やって後悔した方が、やらずに後悔するよりましでしょう。

若い友人が死を通して教えてくれたのかも知れません。

彼女の冥福を祈ると共に、『今、出来る事は今』、を肝に銘じて老い先

短い人生を生きてゆきます。 もっと生きたかった彼女の心を抱いて。

 

 

『ランドセルが欲しいな…』